「スポンジに変わる、環境にも人にも優しい商品があるのでは?」
そう思って、調べていく中で知ったのが、今回取材をさせていただいた益久染織研究所さん(以下「益久さん」」)。
一度お打ち合わせをすることになった、テレビ会議の当日。少しドキドキしながら、参加しましたが、気さくで丁寧なお二方が画面越しで待っていてくださいました。
エシカルハウスはできたばかりの会社で、まだまだ実績もない中、こんなに丁寧に対応してくださる会社さんがいるんだと、真剣に答えてくださる様子も嬉しくて、実はお話していると泣いてしまったほど勇気づけられました。
そして「こんな会社の皆様には、どうしてもお会いしたい」と思い、また「こんなにもこだわって作っている商品は、できる限り多くの方にご紹介したい」と思い、今回、奈良県まで伺うことにしました。
(テレビ会議でお話させていただいた葛輪さんと安井さんは、商品ページの最後のほうに、すこしお話を伺いました^^*)
取材で伺ったお話は、益久さんのストーリーのほんの一部ではありますが、ぜひ温かいこの会社さんの50年のストーリーを読んでみてください。
目次
暮らしをやさしく包む益久さんの布織物
益久さんは、創業からこだわりの綿素材で、布織物を製造する会社さんです。
益久さんの会社は、奈良県・法隆寺駅から徒歩で15~20分ほど。のどかな田んぼが広がるところにあります。
さて、どんなところなのでしょうか? 中を覗いてみましょう。
中に入ると、機織りの機械や、糸車、糸や布の商品が並んでいます。
やさしい雰囲気のある空間は、そこにいるだけで、ほっこり幸せな気持ちに。
今回は会社の一間で、会社のお話をたくさん伺ってきました。
益久さんの想いがつくられた創業期
益久さんの創業者は、現社長である吉井委代(よしい ともよ)さんのお父さまである、廣田益久(ひろた ますよし)さん(以下:廣田さん)。

廣田さんは機織り屋さんの一家に生まれました。ちょうどその頃、日本の高度成長期で、繊維業界は、天然繊維から化学繊維へと流行りがうつっているころ。
廣田さんも、当時は天然繊維と化学繊維を扱うお仕事をしていました。
当時、大量消費の為の、大量の糸の買い付けに弄走していた頃、従来の手仕事をされている現場にも遭遇し、はたと自分の仕事に疑問をもち
「化学繊維など、資源が枯渇するようなことを、このままやっていて良いのだろうか。 これからは世の中にとって役に立つものを作ろう」
この時の想いが、今の益久染織研究所さんの「世の中にとって、役に立つものを作ること」へのこだわりへと受け継がれています。
自然由来の棉花畑との出会い
そこから時を経て、80年代後半ごろ。日中国交回復した北京郊外で、棉花を育てる手紡ぎの村があり、そこから日本への出荷に関する指導をお願いされることとなりました。
友好商社同士でないと、中国と日本の間で取引できない時代。海外の企業が、中国を製造拠点にするよりもずっと前の話です。
「まずは農地を見たい。」
その条件が中国に認められ、農地に訪れるまでにそこから数年の歳月がかかりました。
人民服を着て、自転車でみんな移動しているような頃。貧しい村ではあったようですが、そこに広がる農地は、一度も農薬を使ったこともなく、綿花の美しい景色が広がっていました。
「農薬を使うと、土が悪くなる。肥料を使うと虫が寄ってきて、また農薬を使わなくちゃいけない。農薬を使わなければ大きなわたができる、微生物も土の中で育つ。」
これが村の人が貫く考えです。
機械や農薬を使わないので、綿の繊維が痛まず高品質な綿ができますし、もちろん農業する人の健康にも安全です。
綿花の裏作として、にんにくや小麦を作っているそうで、にんにくの季節になると、村中がにんにくの匂いでいっぱいになるのだとか。
綿花畑ではにんにくのおかげで、農薬がなくても虫が寄り付きません。
そんな風に始まった益久さんの織物ですが、そこからもまだまだ改善は続きました。
益久さんのこだわりの布が出来上がるまで
実は繊維を作る工程では、いくつもの工程があります。
益久さんが作っている綿素材は、自然由来で、育てられています。
まずは原材料となる、綿花を育てることから始まります。春頃に植えて、秋頃に収穫。収穫の時期には可愛らしいコットンボールが顔を出します。もこもこ、ふわっふわ。
コットンボールが弾けたら、いよいよ収穫。エプロンをかけて、手でひとつひとつそっと収穫していきます。エプロンがいっぱいになったら、コットンを集めるところに持っていて、空っぽにしたエプロンで、もう一度収穫に。
大切に育てられ、摘まれたコットンは、昔ながらの手つむぎや、糸を紡ぐ機械(ガラ紡機)で糸になり、それらの糸を経(たて)と緯(よこ)に織って、1枚の布に仕上げていきます。
ちなみに、手つむぎは熟練した人1日200g。ガラ紡というアナログな機械を使うと、いまの機械の量で1日30kg程度。
全て自動で進む紡績機だと何万メーターと紡績されるものに比べて、手つむぎやガラ紡はとてもゆっくりと作られます。
1日で30kgの糸であれば、普段来ている綿のTシャツに置き換えて考えてみると、Tシャツが200gとした場合、Tシャツ150枚分。
手間と時間をかけた、まるで時をためたような織物ですね。
日本水準の品質に向けた苦労
村の方につくっていただく布は、日本の品質基準とは感覚が異なり、途中で色が変わっていても、穴が空いていてもOKとする感覚なので、日本出荷向けの基準値を合わせるのがとても難しかったそう。
最初にオーダーをかけた2種類が全部B品で上がってきました。
少しでも海外でお仕事をされた方がイメージがあるかもしれませんが、日本品質の基準を理解していただくこと、その基準に合わせてつくっていただくことは、とても気の長い関わりが必要です。
またふわふわの綿を生かしてつくる繊維は、切れやすく、高速で動く動力織機にかけると糸が切れてしまう。
布に仕上げる段階でも、織る時にノリをつけて糸が切れないように織って、織り終わったら、きれた部分をひとつひとつ修繕して…を繰り返して、やっと日本に出荷できるレベルの布が出来上がります。
これだけの工程を経て、手間をかけて作られるふきんが、たったの税込660円。
ビジネスの厳しさを感じましたし、この背景を知れば、なんとも破格な値段だと思ってしまいます。
中国でも高度成長が始まり、賃金が上がってくるので、効率が良いものを試していかなければ。会社としては色々な課題があり、ます久さんはひとつひとつ向き合い続けています。
軽くてふわふわ、益久さんの布のヒミツ
そんな手間と時間を惜しみなくかけた益久さんのガラ紡糸は、手織りのように空気をたっぷりと含んでいるため、ふわふわ柔らか。
もちろん、糸をつむぐ段階、そして、布を織る段階でも、優しく作られているからこそ、ふっくらしていますが、柔らかさの秘密は他にもあるんです。
それは、収穫した綿に化学的な洗浄や処理を行わず、綿のふんわりさをそのまま活かしていること。
大手ブランドが製造するアイテムの多くは、規格を守るために綿を化学処理して綺麗にし、糸に紡ぐ時も薬品で余計なものが付かないように全てを「削ぎ落とす」ように処理をします。
それによって糸の太さや色合いは均一化されますが、空気を含む層までもなくなってしまうのだそう。
益久さんの布は、余計な処理を行わず、種子を守るための優しい綿花の繊維をそのまま生かした商品なのですね。
益久さんのこれから
「これからも世の中にとって役に立つ、良いものを届けたい。」
綿花をつくっている方々、糸を紡いでくださっている方々、布を織ってくださっている方々、縫製をしてくださっている方々、いろんな方が、健康で「つくっていてよかったな」そう思える、良いものをつくりたい。
そんな世の中にとって、本当に必要なものを作り、届けることにこだわっている益久さん。
いいものを作っているからこそ、もっと多くの方々に届けたい。そのためにも、こだわり続けて作っていきたい。直接お話をする度に、そのまっすぐで真摯な想いがとても強く伝わってきました。
さいごに
益久さんの商品を伺っていてびっくりしたのは、そのUVカット率。
益久さんが作った布は、薬品なども一切使っていないのに、UVカット率は、なんと90%超え!
「このUVカット率は、どうしても活かしたい・・」そう思って試行錯誤しているスタッフです(もしこんな商品あったら嬉しいな!という方がいらっしゃったら、エシカルハウスのインスタのダイレクトメッセージや、本ページの問い合わせからアイデアもご連絡ください🙇♀️)
そしてふわふわの繊維だから、肌着にしたらとっても心地よくて、夏は涼しく、冬は暖かいそう。
その他にも、益久さんの布をつかって、「こんな商品もあったらいいのにな」というアイデアが浮かんだ際には、いつでもご連絡をお待ちしております。
全てのアイデアを実現できるかはわからないのですが…益久さんと一緒に拝見して、商品の企画などを進めていきたいと思っています。
<企業プロフィール>
<ライタープロフィール>
中山愛
エシカルハウス代表。神戸大学農学部卒。中学生のときにカンボジアの地雷の話を知り、以降国際協力に関心を持つ。学生時代にインドやカンボジアでのボランティア活動、タンザニアやシリコンバレーでのインターンシップ等の経験を通じ、ビジネスで社会課題を解決したいと思い、大学卒業後ITスタートアップの株式会社PECOにて3年半従事。その後2021年にエシカルハウスの事業を開始し、現在メンバーや製造者さんと一緒に、エシカルをテーマにしたサービスや商品をお届けしています。